銘記せよ、秒速で。


これまで生きてきたということは、すなわち、これまで死を免れてきたということである。そして、そのことはすでにまごうことなき奇跡なのである。それを奇跡ではなく、ただの偶然の重なりに過ぎないというのならば、ではいったい何を奇跡と呼べばよいのか。


いまこのようにして生きて在ること、そのこと自体が奇跡なのであり、それ以外の事項、たとえば幸不幸、あるいは喜怒哀楽、あるいは愛別離苦などは、その奇跡に比べればまったくの些事である。些事であり等しく無意味である。生において生起するすべての物事、それらは等しく無意味で価値がない。幸福も不幸も、喜びも悲しみも、どれも等しく私に生を感覚させるという点において同等である。まとわりつく夥しい幻想を捨て去り、そのことをまず深く認識すべきである。


だから、生の内部には奇跡は存在しない。生の内部に生起する物事はすべて無意味で無価値であるからだ。では奇跡が存在し得るとしたらどこに存在し得るのか。すなわち、生そのものが奇跡である。いまここにこうして在ることが唯一無二の奇跡なのである。その奇跡はなにものにも値しない。その奇跡に値するなにものも他に存在しないからである。