怪談蒐集譚

私はオカルトの類は信じない。幽霊の存在も全く信じない。信じたくても信じられない。一度でもそういう体験をしたなら、人生観や世界観が変わるに違いないと幽かに期待しているのだが、残念ながらそういう体験をしたことがないし、これからもすることはないのだろう。

しかし、そういったものを見出してしまうというか、作り上げてしまう人間の意識のありようには興味をもっている。

もう5、6年も前の話になるが、何かに取り憑かれたように怪談を蒐集していた頃があった。夏だろうが冬だろうが関係なく、膨大な量の怪談を漁りまくってた。いま思い出してもあれは何だったんだか解らない。なにか不可解な衝動だったのかも知れない。

で、蒐集するといっても、知り合いから聞いたり、ネットをリサーチしたり、図書館でその手の本を読み漁ったりしただけである。それらを記録していたわけではないから、話の殆どは忘れてしまった。

しかし、記録などを付けずに、それらの話を記憶だけに蓄積したのが却って功を奏したのだろう。次第に、ある怪談を読んだだけで、その話が本物であるかどうか即座に判るようになってきたのが自分でも不思議だった。

ここで言う「本物」というのは「実話」とか、「実体験」とかいう意味ではない。そうではなくて、人の意識と無意識の最も本源的なところに触れてくるような、いや〜な話、グッと来る話というのが、50に1程度の割合で見つかるようになってきた。そういう話というものが、名もない人が語る話の中に、ごく偶にだが間違いなくあるものである。
そして、その話が「実体験」であるかどうかを問うのは全く無意味である。それは、リアルかフィクションかという二項対立次元を遙かに超越したものを、私たちに呈示しているからである。


しかし、そんな奇妙な選別眼を身につけてしまった自分になんとなく嫌気が差して、いつの間にか怪談蒐集を止めてしまった。いま思うとそれで良かった。あのまま続けていたらあまり良くなかっただろうと、漠然と思う。


今でも、たまに怪異談を読んだりする。あの頃ほどではないけれど。

ここ近年の収穫は、『サリョじゃ!』の話とか、『くねくね』とか。
いつか気が向いたら、その話についても書いてみたい。

今夜は暑くて寝苦しそうなので、久しぶりに怪談でも読んで、涼を求めることとする。