時間が流れている。

まるで、水の流れる音に耳を澄ますように、時間の流れる音に耳を澄ませている。



そんなふうにしていると、雑念という名の雑草がみるみるうちに繁茂して、あっという間に極彩色の熱帯性ジャングルを形成する。なんとしても蔓に絡め取られないように、なんとしてもかき消されないように、なんとしても私が私であるように、それらを片っ端から切り倒し切り倒ししていると、いつの間にか、一条の光明が見えてきている。その一条の光明とは、「喉が渇いた」とか「少し眠くなった」とかいう、あるかないか分からないほど微かな欲望であり、その欲望を持つことによって私はやっと満たされる。然り、微かな欲望を持つことによって満たされるのである。



人はなぜ、あれほどまでに深い眠りに就くことができるのだろうか。
それは、ありのままの欲望を明日も満たそうと思うためである。
人は、自分の明日の欲望に備えて眠るのだ。

悪い奴ほどよく眠り、そして、欲望の深い奴ほどよく眠る。

では、欲望を持たない人間は、いったい何のために眠ればいいのだろう。
いったい何を望めばいいのだろう。いったい何を願えばいいのだろう。



遙か、はるか彼方の暗闇を飛ぶ夜行便の音が、時間の流れを加速する。

そして私も、その流れに乗って、夜明けへと向かっている。