玻璃街ろまん
雨上がりの街に風が不意に起こる
流れる人並みを 僕は見てる
はっぴいえんど「12月の雨の日」
かなり昔、といってもたかだか数年前のことになるだろうか。(どうも私にとってのネットにおける時間経過は、ネット外の時間経過に比べて大分ずれているようで、ネットで5年前などもはや隔世の感なのだ。)
とまれ、当時良く読んでいた、あるまとめサイトがあった。*1その画像掲示板のリンクに入っていたのが「玻璃街ろまん」という画像掲示板だった。
さっき、ふとしたことで、往年のバンドはっぴいえんどに「風街ろまん」というアルバムがあることを知り、そこからすっかり忘れていたあの掲示板のことを思いだした。「玻璃街ろまん」は「風街ろまん」のもじりだったことに、今さらながら気づいたというわけだ。
wikipediaによると、「風街」という言葉ははっぴいえんどの造語であるらしい。失われていく風景への、ある種の郷愁を込めた言葉でもあっただろう。
風街(かぜまち)とは、ロックバンドはっぴいえんどの打ち立てた概念。東京オリンピック以前の失われてしまった東京の風景を懐古的な想像で描いたもの。
wikipedia:風街
さて、急にネット回顧録を紐解いたような懐かしさも手伝ってか、「玻璃街ろまん」でググってみると、いまもなおその掲示板は健在であって、少し驚いた。随分と昔のことのように感じていたが、人間の時間感覚とはあてにならぬものだ。ネットの時間が早いのか、それともオフラインの時間が早いのか。よくわからない。
しかし、今、「玻璃街ろまん」にハリコされた街の光景をみると、昔、私が見ていた画像とは大分違っているようだ。今は綺麗な風景の写真ばかりだが、昔はもっと雑然とした街並みや、裏びれた光景も多くアップされていたような気がする。いや、それは私の思い込み、記憶錯誤なのかも知れない。もしかすると、人はネットでも歳を取るということを示しているだけなのかも知れない。
街は歳を取らないし、ネットも歳を取らない。花も同じで、歳々年々、歳を取るのはただ、人だけである。
*1:そのサイトは管理人をめぐる騒動で消滅し、有志が同じタイトルのサイトを立ち上げて今に至っている。