雑記

余は彼の人を生前より見知れるが如き心持を覚へり。
此は予てよりの我が性癖なれども想う人に懐旧の情に似たる情感を持つ事屡々に及ぶ。或は彼の人の姿形とは余の原形質深くに記憶されたる塵芥が断片の一々に刻まれたる物なるか。されど余惟へらく斯の如き心的現象は幻影に過ぎざるや。否。誰か夢と現を弁別するの法則を持つ者やあらん。

彼の人、東雲の陋巷に在りて何をか懐ふや。

彼の人への思ひ入れは、斯様な迄に余と云ふ人間を浸蝕する物なり。
さりながら彼の人は抑も余の心中を微塵も知らず。



しかれども余は毎朝夢から醒むる間際に彼の人を殺しながら目覚む。故に白昼下にては彼の人と一度たりとも出逢ひしことなかりき。