働かないということ。

さいきん働いていないせいで、もうずっとずっと前から働くことをやめてしまったような気がするのは奇妙なものだ。普通の人は、明日辺りから仕事始めなのだろうけれど、しかし私は明日も明後日も明明後日も休みであって、もう正月というイベントもなんだかうんざりする。なぜなら人々に正月と名付けられたその意味の分からないイベントとは、まったくどうでもよく、かつ馬鹿馬鹿しいとしか思えないからだ。節目とか区切りとか、そんなものはどうでもよい。そんなものをこの時期だけわざわざ厳かさを付与しながら勿体付けて持ち出すのは、容赦ない時間の経過というものに常日頃から向き合うことができない怯懦な人間の言い訳であり逃げである。私を含むそういった類の惰弱な人間は、時間の流れに面と向かうことが心底から恐ろしいのである。だが時間の区切りあるいは節目などいつでも存在するのであって、すなわち生きている一瞬一秒が節目なのではないのか。