ハロー、グッバイ。

日記を書かなくなって随分の時間が過ぎていた。


時の流れは、これほどまでに速いものであったのか、


という感慨などはなかった。



時の流れとは残酷なもので、そこに生きる無数の人々に僅かな欠員が生じたところで、時間の流れの中でいつしかそれは忘れ去られ、欠落し、風化し、埋没し、そして、まるで赤く引き裂かれた傷口がしだいに癒合してゆくように、何事もなかったかのように、やがて、すべてはどこへともなく流されてゆく。どこへともなく。


私たちは誰しもそうやって、過去という深々とした傷口を忘れることにより現在、すなわち現に在ることを維持しているのであるし、またそうすることによってしか、現在から未来へ目を向けることは決してできない。過去にではなく未来へ。


だからこそ、過ぎ去っていった日々、居なくなっていった人々、そういう二度と戻らないだろう物事が、ふと触れようとした瞬間に跡形もなく粉ごなに崩れ去り廃墟と化してしまうことに、そしてまた、その崩れ果てた廃墟の跡には、いつか必ず新しい季節が訪れることに、人は常に自覚的であるべきなのだ。いかなるときでも、人はそうやって過去を忘却の彼方へと押しやり、その空きスペースに望む未来を呼び込むものなのである。






今日を忘れろ!明日を思え!
進め!振り返るな!前へ進め!


そう叫ぶ督戦隊の怒声に従って、ひたすら前へ進めばいいのだ。何も考えずに、ただ前進すればいいのだ。また、そうする以外に選択肢はないのだ。


それなのに、それなのに、なぜ立ち止まる。何を振り返る。なぜ進もうとしない。












日記を書くという行為は、過去を手放したくないという無意識の表れなのだろうか。そうやって日々を記録して記憶して、一体何になるのだろう。


けれども、現在よりもリアルな過去というものがあり、今よりもアクチュアルな昔というものがある。たとえそれが目も当てられぬほど醜いテンプレートの陥穽に落ちていたのだとしても、それを認識する心中を満たすのは懐かしさなどという薄甘い感傷とは断じて違う。


残念ながら私は、そのようなものを未だかつて一度も目にしたことはないのだけれど、それでも。




 Hellow, the past
 goodbye, the future.

 グッバイ、過去、


 グッバイ、未来。





 ハロー、過去、


 ハロー、未来。