マルチタスク

昼弁当を食いながら、モニタを見た。
ラジオを聴きながら、文庫本を読んだ。
快楽に遊びながら、この地獄をめぐった。
愛の言葉を探しながら、吉野家の24時だ。
iPodを曲送りしながら、ステアリングを握った。
携帯に没頭するふりしながら、周囲を盗み見たのだ。


君がなにかを成そうとするとき、「ながら」するのはなぜなんだ?
時間の無駄を省くため?
ライフ八苦に適うため?
二兎を追い両兎を得るため?


それで君は幸せになった?
なったはずがない。マルチタスクは君や私たちを不幸せにしたのである。これだけは確実だ。
弁当の美味さまたは不味さも、モニタのなかのウェブスペースを覧ることも。
もはや絵にも描けない快楽悦楽も、すでに言葉にできな地獄絵図も。
一生で一度きりの恥ずかしい愛の言葉も、今日辞める吉野家お兄さんの最後のサービスも。
iPodがシャッフルした結果あらわれた曲との偶然の出逢いも、ステアリングに伝わってくる高機能舗装のロードのイズも。友人から来た携帯のメールに書かれたいまここにしかない時間。そうしている自分を捉えるビルの雑踏。


 それらはみんな、今日お前が永遠に失ったものじゃないか。


 だってそれらはシングルタスクで向き合っても、永遠に失われてしまうものなんだ。


 いったいなにを慌てているんだ。


 だから私は今夜も、音楽を聴きながら眠りに就こう。永遠に失われるそれを見送りながら。