窓の外の光景が私を脅かす。


窓の外に広がる、自分とは何の関係もない光景が、あるいは何%かは関係のある光景が、私を脅かす。


その窓から見えるのは、物知り顔に列なして居並ぶ甍。いつまでも、どこまでも渝らざる甍。そして、それ越しに見えるのは、やがて死に行く患者の病室の明かり。彼は自分の運命を敏感な嗅覚ですでに感じ取っているのかも知れない。あるいは、その窓から聴こえてくるのは、この朝靄に咳き込む通行人の足音。アスファルト踏み鳴らす焦燥の音。彼の現身は道の上に失われて、その足音だけが街を過ぎるかに思われた。主を失ったその音は、いまだ冷たい街頭に空しく響く。


窓の外にはそういった、自分とは何の関係もない光景が、あるいは何%かは関係のある光景が、窓枠から外れて見えなくなるまで連綿と、そして無数に続いている。窓から見えるそれらは、果てしなく恐ろしい。そこには他者の身体が、他者の思念が、他者の生が、目を凝らすと犇めいている。おびただしい身体と思念と生が、複雑な複合体を成して。甍はそのメタファーとして整然と並ぶ。それはあまりにも強く重すぎて、あまりにも膨大なのである。



いま、眩暈と絶望に似た感じを覚えつつ思う。

窓は、生きている。

あらゆる窓は、生きているのだ。
お前の居る部屋の窓の外には、いったい何が見える?
その窓が、お前の部屋にいったい何を作り出す?
お前の部屋の内部を作り出すのは、室内のガラクタではない。お前の部屋の内部を作り出すのは、実は、常に、部屋の窓の外にあるものである。お前が部屋のなかの物と心を変えようと思うならば、お前は窓の外の景色を変えなければならない。



窓の外の光景は、いつも私を脅かす。

そして、それは、いつもかけがえもなく美しい。


すべての窓は、いまも、お前のために開いている。