自傷他害の虞あり。

最近「自決」という言葉の意味を噛み締めている。苦しみで人は死ぬのか。悲しみで人は死ぬのか。絶望で人は死ぬのか。愛によって死ぬか。そうかも知れない。しかし、それらの死についてさらに言えば「自決」の理由というものは、いかがわしく、嘘くさい。むしろ、死という概念によって、この生が逆照射される。死を思うことにより沈滞せる生を浮揚させる。まるである種の毒薬のような効用が死にはある。これから死のうとする人間も、まだ生の側の人間だから、どうしたって生の側の論理でしか思考も行動もできない。死の1秒前まででさえ、人間は無限=死に則ることはできない。だから人は、苦しみや悲しみや絶望に耐えられずに自決するのではない。自らの死によって逆照射された苦難の生を、高らかに称揚するために自決する。そこには暴力的なまでのエゴイズムが行使されている。誰に対してか?自らに対してと、他者に対して。