温い時間は過ぎ去って
光さえもまどろむ午後、土に埋まった罐のように赤錆れた時間は、いつまでも温く澱んで流れずにとどまるかのように見え、その実は目に見えぬほどの高速で一瞬のうちに流れ去ってしまう。
いつしか届きそうで届き得なくなったそれは、遙か昔に打ち棄てられ褪色して消えかけた看板の文字を懸命に読もうとする行為にも似て、僅かな無気力さと微かな徒労感と漠然とした不安をもたらして、そしてすべてを押し流してしまう。
しかし記憶される遙か以前から、いま目に映る木々の青と空の蒼は、いつだってあったし、これからもそうあり続けるだろう。
これが無為だというならば、
有為とはどういうことなのか。
これが無価値というならば、
価値とはどういうことなのか。
いつしか、記憶が秒速で溶解していく。
私はいま、初夏の中にいます。