水紋天珠

 

あの悲しみや苦しみはコアのようにおのれの内にずっと残っているものの、それに思考や行動を大きく左右されなくなってきたのは、精神系が回復基調にあるからだろうか。あるいは歳を経て自らに対してもまた老獪さを増し、そういったコアへの対処法あるいは処理法を覚えつつあるのかも知れない。まるで厄介な奴を巧くあしらうのを覚えたように。


私の願いは、ただ平穏に暮らしたいということであり、それ以上の何をも望んではいない。にもかかわらず他者はそのささやかな平穏を打ち破り、明鏡止水の境地をかき乱してくる。その波紋の行き着く先をじっと目で追っていくと、やがてそれは平素忘れつつあった、おのれの悲しみや苦しみのコアなところをまっしぐらに目指していて、思わずぎょっとさせられることがある。


しかし元来、誰にとっても他者というものはそういうものであって、というか、そういうもの以外ではあり得ない。また自己というものが悲しみや苦しみのコアを内蔵しているのも同断である。


ならばいっそのこと、他者の起こした波紋が、やがて微かな水紋となってなお広がり、ついには私の内なる悲しみや苦しみのコアへと到達して、さらにそれが反響してかえってゆき、私と他者のいるこの広い水面にどんな交差模様を描くのかを、しっかりと観察してみるべきなのだ。