退嬰的音楽趣味

ここ数ヶ月、昔聴いた歌謡曲というか音楽を、無性に聴きたいという思いが消えない。
もちろん最近の曲も聴いているのだが、心の琴線に触れるのはほとんど昔の曲だ。
そんなわけで、昔の曲を携帯mp3プレーヤーでヘビーローテで聴いている。


昔の音楽はいい。
改めて感じるのは、音楽は追憶のタイムカプセルであるということだ。


そして、過去から疎外されたアクチュアルな自己意識を思う。


それにしても、我ながら退嬰的な趣味だと思う。あの頃は良かったなーとか感傷に浸るのも大概にしろって。過去を愛でる人間に未来はない。そのような退嬰性は、何も生み出さないことは分かり切っている。感傷に浸ることには、何の意味もないし何の価値もない。だいたいそれは、音楽そのものを聴いているのではなくて、過去の追憶を聴いているのである。そんなのほんとうの音楽鑑賞じゃない。音楽とは、それ自体が独立した芸術として享受されるべきである。


それでも、なぜか昔聴いてた曲が聴きたい。なんでだろう。

こんなときに便利なのが、やっぱりyoutubeである。


で、見つけたよ。懐かしい曲。
しっかり保存しました。いつの間にか消えちゃうからね、youtubeは。


プリンセス・プリンセス解散前最後のTV出演


この曲が発表されたのは1989年だから、もう17年前のことになるのか。当時のことはもうすっかり忘れてしまった。小学生だった。当時の記憶がほとんどないのは、何も起こらず、何も考えていなかったからだろう。記憶というのは何事もなければ何事も残留しない。ただ、今の私がこうしているように、手前勝手な追憶を埋める空白が残るだけである。


あ、そうそう。ちょうど、この曲が流行ったころ元号が昭和から平成に変わった。そのときのことははっきりと覚えている。その日は友人3人と、どこかの宿泊施設で泊まり込みをしていた。一人の友人が、昭和から平成に変わる歴史的瞬間を体験したいので、深夜0時になったら起こしてくれよ、と言った。私ともう一人の友人は、ずっと起きて漫画「こち亀」を読んだりミニ四駆をいじったり取り留めのない話をしたりしていた。ようやくその時間が近づいたので、起こしてくれと言ったそいつを、「おい!ヘイセイだぞ!平成になるんだぞ!」と起こそうとした。ところが、いっこうに起きない。しまいには枕で殴ったりフトンの上から蹴りを入れたり耳元で怒鳴ったりして起こそうと試みたが、結局その友人は起きなかった。


そうして、いつの間にか時代は変わっていた。気が付いたときには時代が変わっていた。時代とは人間の意識に関わりなく変わるものだ。




この動画を見てまず思ったのは、ちと下世話な話だが、テレビの収録なのに口パクじゃなかったんだ、ということである。ボーカルの奥井香が、感極まって歌詞を間違えているからだ。
そういえば、このプリ・プリというバンドはライブに定評のあるバンドだった。CDよりもライブの方が遙かに良かったという話を聞いたことがある。そのうえ、作詞作曲とも、すべて自分たちでやらなければ気が済まなかったという。たしか一曲だけ、メンバー以外の人が作曲したものがあったらしいが、メンバーたちは、その曲は自分たちの曲ではないと考えて、あまり演りたがらなかったらしい。
そういう予備知識を無視していま聴いても、クオリティの高い楽曲だと私は思う。


13年間続けて頂点にまで登り詰めたバンド、その解散一週間前に収録された映像がこれ。


このとき彼女たちは、何を思っているのだろう。
一瞬の閃光のうちに終わった13年間という時間は、彼女たちにどんな感慨をもたらしたのか。


何にも知らない
Ah 子供に戻って
Ah やり直したい夜もたまにあるけど
あのとき感じた Ah 予感は本物
Ah 私を動かすのは ダイアモンド



なんつーか…
俺に言ってんの?って感じの歌詞だと思った。