訳の分からんメールが来た。

今日の昼休みに、窓の外の鈍色の空を眺めながらメールボックスを開いたら、以前同じ職場だった人からメールが来ていた。その人とは、なぜか気が合った。もうしばらく会っていなかった。


届いたメールを読んでみたが、なんだかよく分からなかった。他愛のない内容であることは分かった。しかし分かろうと努力はしたのだけれど、それ以上のことは分からなかった。そのメールに何の意味があるのだか、全然分からなかった。メールを送ることに意味があって、中身には何の意味もないのかもしれなかった。そうではなくて、メールを送ることにさえ特段の意味はないのかもしれなかった。
 とりあえず、返事を書いた。


「さっきから外では街宣車がグルグル回っていてうるさいです。」


少し考えてから、そう書いて送信ボタンをクリックした。
送られてきたメールの意味がよく分からなかったので、さしあたって現在の事実を書いたのだが、この返事も、読み返してみると我ながらよく分からなかった。もしかしたら何の意味もないのかもしれなかった。出会いとか別れとか、喜びとか悲しみとか、言葉とか行為とか、そんなものにも実は何の意味もないのだと思った。


たまに、何もかも分からなくなる。分からなくなる錯覚に陥る。いや錯覚ではなくて実際分からなくなっているのだろう。それはゲシュタルト崩壊っていうのとも違う気がする。


普段、なにがしかの意味があると思っている物事にも、ほんとうは意味などなくて、関係性の結節点だけが骸骨のように真実の姿を現す瞬間があると感じた。一切法無自性空。真実があるとすればそれしかない。でも、それでよいのだと思った。私は真実以外のものは選びたくない。ただ解せないのは、諸々のことに何か意味があるかもしれないと、さっきまで私に思わせていたものは何なんだろうということだった。それは確かにさっきまであったのに、今はもうない。


鈍色の空から降り止まないかすかな雨の音を聴きながら、なぜかふと、「昨日まで燃えていた野が、今日茫然として曇った空の下につづく」とかいう、中也の詩をぼんやりと思い出していた。そういえば、もう秋だった。その下で今日も私は生きているのだった。