折れるシャーペン


I氏と会うのは20年振りだった。


当時の面影は朧気ながら残っているが、この人がそうだと言われても、そうなのか…としか思えなかった。なにしろ小学校低学年の頃の記憶しかないのだから。今ではすっかり初老となったI氏であった。


当時、I氏の在籍するつくばの研究所へ、家族と一緒に遊びに行ったことがある。
巨大な空間の中に、アーチ状のレールが敷設されており、そこを延々と往復運動する物体を、白衣を着た人々がひたすら見つめていた。小学生だった私には、もちろん何が行われているかよく分からなかったが、それが最新鋭の研究であることは、彼らの真剣な眼差しで感じられた。私の手を引くI氏の顔を見ると、やはり真剣な眼差しで運動体を見つめているのだった。


「あの頃、ご自分のやっている研究がどんな意味を持つのか、よく分かってなかったでしょう?Iさんを含めて、あそこにいた人たちは、みんなそんな顔付きでしたよ。ポカーンとした顔で。」


と、I氏に少し意地悪な質問をしてみた。I氏は苦笑して、


「まあ、そうだな。当時はそんなもんだったよ。研究の意味なんか後から付いてくる人が考えれば良かったんだから。それより私たちは、長く出たシャーペンの芯の先端みたいに、力を入れる方向を間違えるとすぐに折れてしまうようなね、そんな微妙なバランスの中にいたから。失敗だけはできない、ということしか考えてなかったよ。研究の意味なんか考えている余裕なんかなかった。」


私は、I氏の話を聞きながら、時代の最先端を行くというのは、案外そういうことなのかも知れない、と思った。そして私は、もはや折れてしまったシャーペンの芯のような自己の軌跡を慮り、そこにかえって清々しいような空虚さを感じたのだった。