目覚めよと呼ぶ声が聞こえ

夜闇に向けて窓が開かれており、そこから湿気を帯びた重い空気がゆるゆると流れ込んでいる。その空気は冷たいとも暑いとも付かず、ただ存在だけが外部からの異和として感じられ、そしてそこへ横たわる私に降り注ぐ。


未明に、幾度かの金縛りを体験した。
暗闇の中で、なんとかして手足を動かそうとしても、何かに縛り付けられたように動かず、やがて、もがき疲れた意志に諦念の交じる頃、ふと金縛りが解ける。すると再びまどろみへと引きずり込まれ、また金縛りに遭う。それが何度も繰り返された。自らの意志とは別の意志が、どこからともなく侵入し、自己のものであるはずの己の身体を緊縛する。それはまったく奇妙で滑稽な感覚である。


それは何年ぶりかの体験だった。若い頃は頻繁に体験し、もはや慣れっこになっていたが、ここ数年はあまり体験していなかった。覚醒と睡眠。意志と身体。身体が意志の制御を拒絶するとき。あるいは、金縛りというのは思春期特有の心身の失調と関係があるのかもしれない。

早朝に目覚めてからしばらく、そんなことをぼんやり考え、では、今朝それを久しぶりに体験したのはなぜだったのか、と思った。しかし私にあの頃のような失調が起こっているとも思えない。なにをどう考えても答えが出るはずもなかった。


懈さの残る体を起こし、昨夜から開けておいた掃き出し窓を閉めようと窓際に立ったとき、あるものが私の目に入った。


それは、窓枠のサッシにひしとしがみついた、若いヤブカラシの蔓であった。まるで人間が窓枠に手をかけるように、サッシへ柔らかい手をかけた黄緑色で細い蔓は、放恣なままに伸びるだけ伸びて、夜のうちに開けておいた窓枠にとりつき、さらに自由な空間を求めて、あわよくば私の眠っていた室内へと蔓を伸ばそうと、貪欲にも窺っていたのである。


それを見た瞬間に、私は未明の金縛りの理由が了解されるような気がした。そこに熾烈な意志の存在を認めないわけにはいかなかったからだ。存在への意志。その私のものではない熾烈な意志が、私を射竦めるのは当然のことだ。それは至極、自然なことである。


だから、目覚めよ、意志よ。目覚めよ、身体よ。そして目覚めよ、私よ。