莫談国事。

古来、中国には「莫談国事」という言葉がある。「国事を談ずるなかれ」と訓読する。その意味は、「国政を語ってはならない」ということである。

この言葉には複数の解釈がある。というか、複数の意味を付与されるように作られている。

第一義的には、政治などという俗塵まみれた話ではなく、風流な清談を楽しむべしという老荘思想的な意味である。

第二義的には、お上の為すことに喙を容れるなという意味である。知らしむべからず由らしむべし、物言えば唇寒し、の世界である。



近頃思うのだが、どうも政治に対して無垢な期待を寄せる人が多いようだ。

政治とは虚構であり劇場である。政治的決着というのは「手打ち」であり、「まあこの件はこの辺に落とし所を」という決着である。そこには真実も事実もない。したがって、政治的言語によって語られることと事実は分離して考えなければならない。

もちろんそれは、必要悪としてのひとつの社会的機構であるという見方も可能かも知れない。事実、政治にはそういう機能がある。しかし、政治によって語られるのは常に事実ではなくフィクションとしての物語であることは、銘記しておくべきである。それは誰のせいでもなく、古来そうだったのだし、将来もそうである。しかし、事実あるいは真実の探究はそこから遠く離れたところで為されなければならない。まずは政治的言説と非政治的言説を見極めなければならない。前者に対して無関心を装う必要はないが、両者の距離を目測し間違ったならば、決して真実は得られないだろう。



であればこその莫談国事である、と8月15日に思う。